2006年02月28日

第十三話 一言

 勝手過ぎるよ、私を好きになったのはあなたの方なのに。
 あなたが何もしなければ。
 私もあなたを好きになったりしなかった。

 手紙を胸に、彼女は表へ出て行く。
 零れそうな涙を堪えながら。
 それでもあふれ出た涙を、白いエプロンで拭いて。
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第十二話 階を隔てた世界〜3 代償

「まったく、くだらない世界だ」
 ソファに身を預け、青年は呟く。パーティが終わる度、その思いに苛まれる。あの場で発した言葉に、どれだけの意味があるのだろう? 何も生み出しはしない。百年どころか、明日には消えてしまう価値しかないのだ。
「いちばんくだらないのは、今の自分自身か……」
 豊かさを手にしてから、本質から遠ざかっていく。

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2006年02月26日

第十一話 一日の終わり

 一日中歩き続けて、家の中にいるだけなのに、一体どれだけ足を酷使したのか、わからないほどに。ブーツの紐をほどいて、姿を見せる私の足が可哀想になって、軽く柔らかく撫で付ける。
 脱ぎ捨てたブーツを揃えてから、先に眠っているヘンリエッタを起こさないように、ベッドの上に寝転がる。低い天井、閉ざされた窓。沈鬱な雨が、定期的にガラス窓を震わせた。
 蝋燭の赤い光が無ければ、まるで監獄のように。
 この世界は、閉ざされている。

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2006年02月25日

第十話 曇りガラスの向こう

 閉ざされたガラス窓、華やかな街の光。向かいの家では今日もパーティ、馬車が何度も止まっては見知らぬ乗客を降ろす。二階のテラスでは、着飾った人たちが優雅な会話に興じている。
 見上げた空は、灰色に染まっていて。
 ふと視線を戻すと、窓ガラスに映る自分の姿。
 髪に乗せられた白いキャップ、白いエプロン。
 それに、ちょっと疲れた顔。



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2006年02月21日

第九話 白いエプロンと

 霧がうっすらと広がる舗道、ずっと遠くは見えない。霧に混ざるような真っ白い蒸気が、舗道の脇、使用人たちが働く『階段の下』から吐き出されてくる。

 馬車を降りた私は、足を止める。立派な玄関に気おされ、ためらいを覚えていた。私がこの家を訪問するのは迷惑ではないのか、場違いではないのか。あの方から迷惑に、思われるのではないか。
 少し迷って、私は家の周りを、歩き始める。



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第八話 階を隔てた世界〜2 残された時間

 赤い炎が燃えた暖炉の火は絶えて、しんとした夜の空気が、足元から忍び寄る。ランプの埃がうっすらと積もり始めたテーブルの上、彼女はそっと指を這わせる。
 窓から注ぐ青白い、月の光を浴びながら、彼女はぼんやりと眺めていた。視線のその先、窓際に残されたイーゼルと、キャンバスを、その上に描かれた自らの姿を。
 ただそれだけを残して去ってしまった青年の面影を、古ぼけた椅子の上に求めて。
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2006年02月19日

第七話 ロンドンへの途上

 駅を離れ、速度を緩やかに増す蒸気機関車。窓打つ風は強く、野外を吹き抜ける。ふと顔を上げると、通路を、途中の駅から乗り込んできた少女が歩いていた。
 ボンネットで金色の髪を束ねた簡素な黒いドレスの姿は、二等席の乗客にしては地味すぎる。小さなトランクを重そうに両手で運び、彼女は揺れる車内、よたよたと歩きながら、空いた席を探していて、僕の前にそのスペースを見つけると、僕へ頭を下げてから、腰掛けた。

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2006年02月07日

第六話 階を隔てた世界〜1 大家の娘

 細い身体は日々の重労働に削られ、炎に照らされる顔は痩せていたが、青年の青い瞳はその優しさを失わず、ただじっと、見つめていた。
 弱々しい暖炉の炎が絶えないように、暖炉に石炭を足す少女の指先を。暖炉に置かれた鉄の台、その上の小さな鍋を、ひしゃくでかき混ぜる、その指先を。
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2006年02月06日

第五話 消えていった未来

「ねぇ、きれいな雪だよ。アリサ。見てごらん」
 少年は微笑み、同い年の少女に、手のひらを差し出す。
 雪は融けて、ただの水になっていた。
「すぐに消えてしまうのですね」
「もっと、きれいな雪を見せてあげるよ」
「危ないです、伯爵様」
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2006年02月05日

第四話 雪の中、白く染まって

 書斎で本を読んでいると、裏庭から物音がした。積もった雪が落ちたのだろうと気にしなかったが、今度は小さなくしゃみの音が聞こえる。
 家の使用人はもう、誰もかもが眠っている。朝から晩まで働く彼らを起こすのは申し訳ないので、私は厚手のコートを羽織り、廊下に出て、階段を降りる。
 一階の階段の途中、裏庭へ通じるドアがある。
 マッチをこすり、ランプに火を燈す。
 外に出ると、冷たい空気が全身を包み込む。雪は止んでいたが、震え上がるほどの寒さが残っていた。
 赤い光の先、閉めてあるはずの裏木戸が開いていた。風が吹いて、木戸を叩いた音だろうか?
 ランプの光で道を照らすと、小さな足跡が、雪の上に残されていた。 外に出ると、冷たい空気が全身を包み込む。雪は止んでいたが、震え上がるほどの寒さが残っていた。
 赤い光の先、閉めてあるはずの裏木戸が開いていた。風が吹いて、木戸を叩いた音だろうか? ランプの光で道を照らすと、小さな足跡が、雪の上にある。
 足跡は、裏木戸から中へと伸びる。歩幅の小さなそれは途中で曲がり、裏庭の納戸へと続いていた。私は息を殺して、足跡を追いかける、その先に、誰がいるのか?続きを読む
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2006年01月29日

第三話 屋根裏部屋の少女

 青白い月の光が降り注ぐ、ガラス越しに。冷たい世界を凍らせるように、観客のいない舞台で彼女は横たわっていた。ようやく辿り着いた最上階、静けさが支配する屋根裏部屋で。
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第二話 メイドとして生きて

 小さなトランクを持った小さな女の子が、やってきた。大きな屋敷で働くメイドの一人として、右も左も分からないままに、大人と同じ仕事をするために。
 ただ必死に与えられた仕事をこなしてきて、辛い時は涙を流し、一度だけの恋をして、仲間たちと笑いあい、小さな身体に不屈の意思を込めて、辿り着いたその先にあったのは、二十年の歳月、重ねてきた思い出だった。
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第一話 白い舞台

 霧深い倫敦の朝、立ち上る蒸気と煙突から吐き出される煙たち。足を止め、彼女は振り返る。玄関の前、開いた扉に手をかけたまま、閉ざされた空を見上げて。
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