2006年05月13日

第二十九話 百年前

 白髪の執事は眼鏡をかけて暖炉の傍で新聞を読んでいる。
 メイドの少女は、近くのソファに腰掛けて、編み物をしている。懸命に、懸命に、手元ばかりを見つめて。大きなひとり用のソファに腰掛けた彼女、隣にはもうひとりが、座っていた。
 顔かたちが同じ、双子の少女が、妹の肩に寄りかかって眠っている。無邪気な寝顔は、暖炉の前、暖かい赤い光に包まれて。
「――天使みたいだな」
 向かい側のソファで、ヴァイオリンの演奏をしていたベスト姿のフットマンは手を休めて、呟いた。
 目を閉じて、演奏に耳を傾けていたハウスキーパーは、音が途切れると、静かに目を開けて、紅茶を飲みながら、この場所を、使用人ホールを見渡す。
 部屋の隅、丸テーブルではワインを飲むハウスメイドと、キッチンメイドがいる。酔いが回ったのか、ふたりは無言で、ただ赤い炎を見ている。
 壁に据えられた十数個のベル、一つ一つには部屋の名札がついている。その使用人を呼び出す仕組みも、この時間はまったく鳴らず、主人たちも使用人たちの時間を、大切にしていた。
 ここは使用人ホール。使用人たちが集い、笑い、怒り、悲しみ、いがみあい、わかりあい、感情をぶつけあって、ひとつになって、そしてひとつに戻っていく場所。
 今ここにある暖かな温度に、ハウスキーパーはもう一度目を閉じる。フットマンが再開した、ヴァイオリンの快活なリズムに身を委ねて。
posted by kuga at 22:24 | TrackBack(0) | 短編集
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/682036
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック