2006年05月13日

第二十八話 ほんのひと時

 銀食器をしまい、戸棚に鍵を掛けると、長かった一日の仕事も終わる。朝までの数時間、許されたわずかな眠りの時。あくびをしながら、マーク・グローバーは部屋を出る。
 今日も一日、長かった。
 中央の廊下を歩くと、靴音が響き渡る静かな空間、ただ屋敷にいるのが、自分ひとりだけみたいに、思えていたのが、ドアが開く音で不意に遮られる。
「あぁ、疲れた!」
 スティルルームの扉が開き、ひとりのメイドが姿を見せる。外したエプロンを手に持ち、大きく両手を天に伸ばしていた彼女は、マークの姿に気づくと、ばつが悪そうに、笑った。

「あら、マークじゃないの。あなたもまだ残っていたの?」
「仕事が残っていました。このところ、忙しいですね」
「忙しいのは、暇よりもいいでしょう? パーティの時の忙しさに比べたら……」
「あれは、お祭りみたいなものです」
「そうね、あなたも私も、その忙しさが、好きだったわね」
 マークは頷く。忙しくとも、ひとつのパーティ、ゲストを出迎え、彼らを送り出して初めて味わう、あの忙しさの果ての達成感に勝るものは無い……仲間がいればこそ、味わえるあの気持ち。
「でも、そういう考え方は珍しいわ」
 肩をすくめたセシリー、その彼女が、職場を去る。信頼できる仲間を失うマークにとって、それは一大事だった。
「今週で最後なんですね、今までお世話になりました」
「こちらこそ、あなたにはずっとお世話になったわ。いろいろとありがとう。あなたはよく他人を支えて、全体を見てくれた」
「あなたに比べれば、オレなんて気が回らない方です」
「そんなこと、無いよ」
 短く誠実な態度で答えを返す先輩のメイドに、マークは伝えたいことがあった。たとえ、唐突に聞こえようとも。
「――ミス・セシリー、オレはあなたを尊敬しています」
「ありがとう、他の誰かに言われるより、ずっと嬉しいわ。でもね、マーク。そんなことは、ずっと前から分かっていたわ」
 セシリーは口元をきゅっと引き締め、頭ひとつ分以上大きい、立派なフットマンであるマークを見上げた。
 返答に窮したマークの前で、セシリーは相好を崩して、少女のように笑った。
「あなたは本当に背が高いのね、マーク。こんなに近くであなたと話すと、首が痛くなっちゃうわ」
 無邪気に笑った彼女を、マークはずっと、忘れられなかった。
posted by kuga at 22:23 | TrackBack(0) | 短編集
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