2006年05月07日

第二十三話 煙立つ街、丘の上で

 見晴らしのいい丘からは、街のすべてが一望できた。広々とした街並み、立ち並ぶ古い建物、背が高いタウンハウス、曇った窓ガラス、巨大な尖塔、何本も伸びる煙突から、吐き出される白い煙……
 それでも、視界を埋め尽くすのは、色を失った空。
 マンチェスターの、灰色に閉ざされた空の下。
「――今日もこの街は何も変わっていないわ」

 黒いショールに身を包んだジェシカは、咳き込みながら、灰色の墓石を見下ろす。刻み込まれた、ニコラス・グレイ。それが、彼女の夫。
 工場も、夫も、今は失われた……
 母に寄り添い、金色の髪の少女は手袋を外し、細く白い指先で墓石の表面をなぞる。何度も、何度も、その姿は亡き父の頬を撫でるように、優しく。
 その度に、彼女の指先は冷えていく。
 ジェシカは娘のその手を、包みこみ、頬を寄せる。
「エリザベス、あなたにはいつか、晴れ渡る空と緑の世界を見せてあげたいわ。お父様が生きていれば……」
「私はお母様と一緒ならば、それで幸せよ」
 交錯する白い息、丘を降りていくふたり。その姿が、静かに降り始めた雪の中へと、消えていく。
 響き渡る、時計台の鐘の音。
 マンチェスターの、灰色の空の下。
posted by kuga at 18:10 | TrackBack(0) | 短編集
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