2006年05月06日

第十九話 開かれたドア

 緑色のベイズのエプロンを着けた執事とフットマンが肩を並べ、バトラーズ・パントリーで後片付けをしていた。フットマンが汚れを流し場で洗い落とし、執事が丁寧に銀の皿や器、それにナイフを鏡のように磨き上げていく。
 互いが互いに信用しあい、無言のまま進む完璧なコンビネーション。水の流れる音と、布の音、それにわずかな吐息。厳かな儀式のような時間は、不意に終わりを告げる。
「ここで働いて、何年になる?」
「もう三年になりますね」
 上司が珍しく話しかけてきたので、サイラスは作業の手を止める。
「転職を考えている頃かな?」
「……三年一区切りですからね、この仕事は。ですが、まだ……」
「転職は少し、待ってみないか?」
 サイラスは問いたげに、敬愛する上司を見る。白髪の混ざり始めた壮年の執事は、いつもと変わらぬ低い声で静かに告げた。
「――来月末で、私は離職する」
 心臓が、止まりそうだった。上司は冗談を言う人間ではない。だからそれは本当なのだ。これほど有能な執事を失うなんて、屋敷はどうなるのだろう、それは悪夢のような、冗談みたいだった。
 サイラスは、笑っていた。
 驚きすぎると人は笑うんだと、自分自身に驚きながら。
「意外だったかな? 君の反応が私には意外だが」
「いえ、あまりにも驚いたので……」
「君には申し訳ない。だが、私が屋敷に勤め、十五年が経過する。十五年も同じ場所にいると、習慣や感覚で仕事をしてしまう」
 水の流れる蛇口を締めて、執事は静かに微笑んだ。
「私はもう少し、有能な執事になりたいのだよ」
posted by kuga at 00:35 | TrackBack(0) | 短編集
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/645631
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック