2006年01月29日

第二話 メイドとして生きて

 小さなトランクを持った小さな女の子が、やってきた。大きな屋敷で働くメイドの一人として、右も左も分からないままに、大人と同じ仕事をするために。
 ただ必死に与えられた仕事をこなしてきて、辛い時は涙を流し、一度だけの恋をして、仲間たちと笑いあい、小さな身体に不屈の意思を込めて、辿り着いたその先にあったのは、二十年の歳月、重ねてきた思い出だった。
 夕闇迫る頃、茜色に染まる空を背に、石造りの屋根の上、彼女は腰掛けていた。白いキャップを外し、留めていた髪をほどくと、長い髪が広がって、風と太陽の光が、静かに、髪を撫でていく。
 微笑みながら、彼女は眺めていた。子供のように、長いスカートの足からのぞく小さな足を、揺らしながら。ここから眺める最後の風景を、残された時間を惜しみながら、
 明日も今日からも、ただ主人と使用人だけは入れ替わっていく。屋敷の主は、屋敷そのものなのだろう。手を乗せた屋根の、冷たい石の温度が、真実を物語っている気がして。
 静かに彼女は髪をかきあげる、物言わぬ屋敷が語りかける声が聞こえるように、静けさが響き渡るこの景色を、忘れないように、万感の思いを込めて、彼女はつぶやく。
 「今まで、ありがとう」と。
 物言えぬ私はただ、彼女の行く先に幸あれと、願わずにいられなかったが、私の言葉が届いたように、彼女は微笑んで、もう一度、今度ははっきりと言った。
 「今まで、ありがとう」と。
 そして彼女は、屋敷を去った。
05巻裏表紙より
posted by kuga at 22:35 | TrackBack(0) | 短編集
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/305527
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック